2018年07月30日

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人間という「種」の振り幅とは、どのようなものでしょうか?

人類最初の女性(通称エヴァ)は、アフリカ大陸の現在のエチオピアの地で生まれたそうで、そのたった一人の女性から現生人類は派生していったそうですので、人間という「種」の振り幅とは、アフリカ大陸から出ていく過程、「黒人→黄色人→白人」の順のような感じで、変化していったと私は思っていたのですが、どうやら完全に間違っていたようです。

文化、言語、宗教、身体的特徴、DNAなどなど、いろいろな材料で判断してみると、実際は、こうらしいです。

「黒人~黒人~黒人~黒人~黒人~黄色人~白人~黒人~黒人~黒人~黒人~黒人」

どういうことかと言うと、人間という「種」の振り幅というのは、一番左の黒人から一番右の黒人までが、その最大の振り幅であって、黄色人と白人の違いなんか、その中にすっぽりと納まってしまうそうです。

上の図で言うと、一番左の黒人と一番右の黒人の違いが人として最も違いが顕著なもので、それに比べれば、白人と隣の黒人の違いなんか、ほとんど無いに等しいそうで、黄色人と白人なんて同種と言っていいぐらいです。

アフリカ大陸に住む黒人には、人間という「種」の全ての振り幅が存在する、と言っても過言ではなく、それほど多様で渾沌なのです。

そう考えれば、同じ日本人という中で、「学校に通っている子供」と「学校に通ってない子供(ホームスクーラー)」の違いというのは、もうそれこそ、取るに足りないほどの、小さな小さな小さな違いでしかないのです。

我々日本人というのは、世界でも類を見ないほどの圧倒的な同質性の中で暮らしているので、そのわずかな違いが物凄く大きな違いのように感じてしまうかもしれませんが、世界各地を旅してまわってみると、世界はあまりにも多種多様で、日本という小さな島国の中で、学校に行くとか行かないとか、そんなことはただの「選択肢」の問題であって、肝心なのは学校どうこうではなく、自分の子供が「どう生きるか」だと思うのです。


(23:23)

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